きゅうまがじん

シェアハウスを運営する休学フリーランス|林利生太さん【大豊町】

大学休学中のきゅうまです。

今回は僕が2月3月に活動した高知嶺北地域の「嶺北田舎暮らしネットワーク」というメディアで、僕が執筆した記事の紹介です。

大学を休学してNPO法人やシェアハウスの運営を行う林利生太さんにインタビューさせていただきました。

 

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林 利生太(はやし りゅうた)

1994年、兵庫県生まれ。小学時代から柔道を始め、高校でも柔道に明け暮れるも、クレーン車にひかれて生死をさまよう経験をする。 高校卒業後は高知大学に進学し、大学祭実行委員長など精力的に活動。大学4年次をまえに休学を決意し、四万十町、栢島でインターンを経験したのち、大豊町へ移住。現在は「NPO法人ONEれいほく」で働く傍ら、憩いの洋館「ハヤシはうす」を運営している。 

教員の道に戸惑い、休学を決意

__休学までの経緯を教えてもらえますか。

「もともとは教員志望で、高知大学の理学部に入学しました。在学時代は大学祭の実行委員長をするなど、積極的に活動していました。その時はパンフレットの作成などで大学外の大人と関わることも多く、いい経験ができたと思います。」

__なるほど。

「学校教員になる道に迷いを感じ始めたのは、大学3年次を終了し、教員採用試験に向けて本腰を入れて勉強し始めたころです。

周りの人たちは必死になって勉強しているのに、自分はなぜか勉強に集中できなかったんです。これまで自分は必要な時にはきちんと勉強するタイプだったので、その時は悩みましたよ。」

__それで休学を考えたのですね。

「教員採用試験の勉強に集中できず焦る半面、自分はまだまだ知らないことが多いと感じるようにありました。

教師になるにしても、このままなっていいのか?
そのような気持ちが次第に強まり、休学することにしました。」

 

今ではNPOの仕事とシェアハウスの運営に尽力している林さんですが、たった1年前には大学生特有の将来への悩みを抱えていたようです。 

就活を前に悩む学生はたくさんいますが、そのタイミングで休学という選択をするのは珍しい選択ですし、勇気がいる決断であると感じました。

ここからは、休学してからの活動を追っていきたいと思います。

  

興味のままに学び、多くを経験する

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__休学してどのような活動をされましたか?

「はじめから休学中にやりたいことが明確だったわけではありませんが、とにかくいろんな経験をしようと思いました。

大学祭の実行委員長をした時のつながりで、四万十町の農業ベンチャーでインターンシップをしました。高知県の特性を生かした、第一次産業の循環モデルを実践している企業です。ほとんど農業の経験はありませんでしたが、農業の楽しさを身をもって実感した経験です。」

__栢島にも行かれましたよね。

「はい、4月から6月の中旬までいました。僕は幼いころから海が好きなんですよ。高知県は海がきれいなのに大学生活で海に行っていなかったので、思い切って栢島へ行くことにしました。」

__なるほど。

「栢島へは何のつてもない状態で入りましたが、黒潮実感センターというNPOで働かせてもらえることになりました。

そこでの仕事はものすごく楽しかったです。そして、小学生に海の環境について教える機会をいただけたりもしました。

その時に思ったのが、教員でなくても教える仕事はできるということ。自分がやりたいのは学校の教員ではない、という思いがさらに強まった出来事です。」

 

自分がこのまま教員になることへの違和感を感じた在学時代とは一変、やりたいことを興味が向くままに経験してきたことが伝わってきます。

自ら積極的に学びの場をつくり、その経験から自分にしっかりと向き合えているように感じました。

 

大豊町の碁石茶親衛隊隊長に

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__嶺北へこられたきっかけはいつですか?

「大学の先輩だった矢野大地さんに碁石茶親衛隊の誘いを受けたのがきっかけです。それが6月の下旬ですね。

碁石茶とは日本で唯一大豊町だけで400年もの間つくられてきたお茶で、近年は健康効果が実証されて人気を博しています。ただ、需要が増加する一方で生産者の高齢化がすすみ、その現状を改善しようというのが碁石茶親衛隊です。碁石茶親衛隊では隊長となり、7月末まで活動しました。」

__なるほど。それがきっかけで大豊町に住みはじめたのですね。

「そうですね。碁石茶親衛隊で活動しているときに、大豊町にある物件を譲ってもらえる話をしてもらい、そこに住むことにしました。

大豊町の中心部なので田舎暮らしという感覚は薄れますが、交通アクセスも良く暮らしやすい場所です。」

__嶺北で暮らして感じたことはありますか。

「とにかく面白い人が多いです。それは、移住者の方も地元の方もですね。それから、川がきれいでお米も美味しいので、嶺北のお酒は格別。他にも生こんにゃくだったりと、美味しいものがたくさんありますよ。」

 

碁石茶親衛隊で大豊町へ。いい機会だと感じて、その環境に飛び込んでみようと決めたのだとか。それも、多くのことを経験したいという気持ちの表れなのではないかと感じました。

それから、嶺北での暮らしはとても楽しそうです。そこにいる人が面白いこと、食べ物が美味しいことは、楽しく幸せな暮らしになにより大切なことではないでしょうか。

  

憩いの洋館「ハヤシはうす」をオープン

f:id:kyuma-morita:20170304163902p:plain引用:http://d-illust.com/hayashi-house/

__10月にハヤシはうすをオープンさせましたね。なぜシェアハウスを運営しようと考えたのでしょうか。

「嶺北地域には田舎暮らしを求めて移住してくる人がいます。なので、この家をシェアハウスにすることで、田舎暮らしをしたい人がより嶺北に入りやすい環境をつくりたいと思いました。とても大きな物件で良かったです。」

__田舎に入りやすいとは。

「大豊町は家賃が安いうえ、シェアハウスをすることでさらに金銭的な面で嶺北に来るハードルを下げることができます。さらに交通の便もいい立地なので、とても暮らしやすい環境です。」

__なるほど。シェアハウスをはじめて6か月が経ちましたが、やってみてどう感じますか。

「運営をはじめて3か月でのべ190人もの人が来ました。正直、想像以上に人が集まって驚いています。

生活費は安く抑えられます。それから、家に帰ったときに人がいる安心感と、みんなで食卓を囲む幸せも感じることができます。」

__本当にたくさんの人が来たのですね。

「シェアハウスは出会いの掛け算です。それほど人が来るようになったのも、人が人を呼び、たくさんの繋がりが生まれまたからでしょうね。」

__シェアハウスで大変なことはありますか。

「食費や部屋の備品などのお金の管理や、ルームメイト同士の人間関係は難しいと感じることもあります。ただ、在学時代から友人とルームシェアした経験があったので、それほど苦労はありません。」

__そうなんですね。では、最後にはやしハウスの今後の展望を教えてもらえますか。

「若い自分がここでシェアハウスを運営して腰を据えることで、若い人が高知に入る入口のような場所にしていきたいと思っています。

嶺北以外の地域に住みたい人も当然いるので、高知に入った後は嶺北にこだわらず、その人に合う地域を紹介しながら、僕の好きな高知県を盛り上げていければと思います。」

 

最後に 

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若い自分がシェアハウスを運営することで、若者が高知県に入るハードを下げたい。

はやしハウスを運営する林さんはそう語ります。

「自分がこのまま学校教員になっていいのか?」という疑問から休学を決意し、積極的に行動して自らと向き合ってきた林さんだからこそできることであると感じました。

また、ハヤシはうすにこれほどたくさんの人が集まることからも分かるように、その地域で暮らすハードルを低くしてくれる環境には大きな魅力があるのでしょう。今後もはやしハウスに人が訪れることで、さらに面白い人と人の繋がりができていくのではないかと思います。

現在は嶺北のNPO法人で働く傍らハヤシはうすを運営する林さんに、今後も目が離せません。

 

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いかがでしたか?

今回は嶺北田舎暮らしネットワークの「田舎ラボ企画」で執筆させていただきました。他にも高知嶺北の仕事や生き方について、面白い記事がたくさんあるのでぜひ覗いてみてください!

それから、「休学生活」についてはこのブログでインタビューした記事もあるのでぜひ。
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